2020年2月22日土曜日

センスない

彼は今何を考えてるかな
ふと一息、煙草を吸ってる時とか
嫁が先に寝て一人でリビングにいる時とか
少しでも時間ができるとそんなことばかり考えてる。

責任感が強くて、諦めが悪くて、少し頑固なところがあるから
飛ばしてしまったイベントのこととか
製作途中の音源のこととか
残してしまった家族やパートナーのこととか
自分のことそっちのけで、人のことばかり心配して謝ってそう
あいつらしいなって思いながら、真意を確認する術がない。

意見が食い違って熱くなることも
お互いの曲を褒めあって、笑いながら握手することも
今となってはできない。
俺の持ち前の口の悪さで井田さんの悪口をいうこともできない。

悪口言いてえな~。
どのライブよりも葬儀の方が動員が多かったとか
今になってCDが沢山売れてるとか
全然笑えないよ。そのギャグはセンスないよって

言いてえな~。

「失ってから大切さに気付く」とか
滅茶苦茶ダサい考え方だと思う。
彼のことはずっと大切な存在だったし、これからもこの関係を大事にしたいって思ってた。

それでもやっぱりもっと会っとけば良かったなとか
誘ってくれてたライブも仕事を強引に切り上げてでも行けば良かったなとか
気付いたら滅茶苦茶ダサいと思ってた考え方をしてる自分がいる。

でもどんなに沢山会ってても、誘われたライブ全部行ってても
絶対悲しいし、同じように後悔するんだろうな。

「ユウイチはステージでキラキラする人だよな」って彼は何回も俺に言ってくれた。
3つ年上の大人とは思えない程、抽象的だしボキャブラリーなさすぎだし
自分のライブは映像でしか見れないからよくわからないけど
でも何となく嬉しかったから「ありがとうございます」って言った。

この結果が運命だと言うなら
そもそも何故彼は生まれてきたのだろう。
神様って絶対いないよね。いたとしてこの結果ならそんなもんは神様じゃなくて悪魔だよ。

俺も井田さんと同じくらい諦め悪いな。
会いて~な~。


中村ユウイチ




2020年2月16日日曜日

いつかまた

前のブログに書いたように
僕の大切な仲間が2/14にこの世を去った。

昨日2/15は仕事を休んで、彼の遺体が発見された熊谷駅に行ってきた。
彼が最後にどんな場所でどんな景色を見たのか知りたかった。

よくさ、四十九日までは魂がこっちの世界に留まるっていうじゃない?
だから気配でも、言い方悪いけど幽霊みたいな形であってもいいから
彼を感じたいと思った。
だけど俺にはそういったスピリチュアル的な能力が全くないんだって
この時初めて「見えたらいいのに」って思った。
10分おきくらいに来る電車を眺めながら30分くらいただ突っ立ってた。

周りには普段通りの生活の中で駅を利用する人がいて
俺は来る電車に乗りもせず、ひたすらホームを見てて
こいつ飛び降りるんじゃないかって心配するような目で俺を見てるおっさんがいた。

些細なことでもいいから、彼に繋がる何かがないかって探したけど
昼なのに薄暗いホームと無機質な鉄のレールしかそこにはなかった。
結局昨日はそれだけですぐ家に帰った。

今日は井田さんの実家にお邪魔してきた。
妹さんに迷惑を承知で連絡をしたら快く受け入れてもらえた。

年末に江原と大宮で忘年会をして以来に会った彼は棺の中にいた。

すごく綺麗な顔だった。
何年か前にうちに泊まりに来た時みたいに棺の中で寝てた。

駅のホームを見て、遺体を目の前にしてもやっぱり実感が湧かない。
多分、これから生きてく中で徐々に実感が湧いていくんだろうな。

彼の分身でもある音源が流れて、見覚えのある洋服が並んで
子供の頃の写真があって、彼を育てた家族がいて、棺の中に彼がいた。
短い時間だったけど、彼の33年間を感じた。

ご家族の方々には本当にこういった機会をくださって有難く思っています。
色々な段取りで忙しい中、本当にありがとうございました。

家について今思うのは
もう彼はいないこと。どうあれ残された人間は残された時間を過ごしていくこと。
言葉にするのは簡単だけど、中々割り切れるもんじゃない。
それでも俺はこれからの時間を彼に誇れるような生き方をしていきたい。

口の悪い、生意気な後輩でごめんね。
3歳上だけど、俺はあんたのこと本当に仲間だって思ってるよ。
いつかまた会いましょう。今まで本当にありがとうございました。


中村ユウイチ



2020年2月15日土曜日

井田裕也という男

2020/2/15 AM:3:00
起きたら仕事だから、寝なきゃ
起きたら仕事だから、寝なきゃ

そう考えながら3時間経った。
色んな感情が巡り巡って止まらない。

井田裕也という男が死んだ。
俺にとってかけがえのない友達でありライバルであり先輩。そんな人。

初めて会ったのは今から10年くらい前。
府中Flightというライブハウス。
彼はライブハウスのオムニバスのV.Aのレコ発ツアーで関東のライブハウスを巡っていた。

当時彼はRAGNAROCKSというバンドで唄っていた。
ライブがとてもカッコ良くて、打ち上げで話してすぐに仲良くなった。
なんで初対面であんなに仲良くなれたんだろうって不思議だったけど
今思えばそれも全部彼の懐の深さがあったからなんだと思う。

そこから俺の節目にはいつも彼がいてくれた。
耳が聴こえなくなって、ライブ活動をストップする時の最後のライブも
その休止から再び活動を再開する時のライブも
僕の結婚式でも
いつも彼の歌を聴いていた。

彼は埼玉、俺は東京に住んでて
会う時はいつもちょっとした旅行みたいな気持ちだったけど
ライブでもないのに飲みに行ったりして
音楽で出会った仲間と音楽を介さなくても会いたいと思える
そんな風に感じさせてくれる数少ない人だった。

えはらよしはる
中村ユウイチ
topaz
この3人でずーっと仲良くしてきて
「じゃあ3人でイベントやろう!」って言い出して開催されたのが「Door」というイベント
アー写撮って、フライヤー作って、3人でテーマソングを書いて
スタジオが予約取れなくてカラオケでリハしたよね。帰りに焼肉食った。

夢見てたような何万人ものお客さんを集めたイベントではなかった。
でも3人でいられることが何より楽しかったし、観に来てくれた人には絶対それが伝わってると思う。

正直ね、これから先もずっと一緒にいられると思ってたから
急にいなくなっちゃって、こっちは心の整理が全然つかないんだよ。
行方不明になったってTwitterで見たときに
見つかった時はどんな理由であれ抱きしめて、文句言ってやろうと思ってたんだよ。

彼のことを必要としている人が彼の周りには沢山いるんだって
今回の騒動の中で再認識した。少し嫉妬もした。
そんな人達はこれから先の人生を彼なしで過ごさなきゃいけない。
俺もその1人。

でもSNSでもYoutubeでも携帯の中でも至る所に彼はいる。
彼がいた証拠はネット上に沢山ある。勿論それぞれの心の中にも。

もう叶わないってわかってるけど、これからも一緒に歳を重ねたかった。
えはらと3人で大宮の汚い居酒屋で何時間も話したかった。
彼の成功を見たかったし、俺の成功を見て欲しかった。

彼の分まで生きる。なんて大それたことは言わないけど
彼が生きようとした今日、明日を俺なりに精一杯生きてみるよ。

色んな感情がブワーッてなって、5年ぶりにブログを書いたけど
やっぱり全然整理つかないわ。

彼と出会わなきゃこんな感情にならなくて済んだけど
それでも俺は彼に会えて良かった。

俺が天国行く頃には、井田さんは天国ベテランだと思うから
道案内でもしてよね。
33年間本当にお疲れ様でした。
これからも宜しく。

中村ユウイチ